「幸福を手に入れた者を援助」して「不幸な者を放置する」発想の限界

α世代就職氷河期世代

大学に進学した者は、望んでも大学に行けなかった人のために、尽くせ

は完全なる間違いであることが、最近の思索で明らかになってきた。

平等に言えば、それは非常に視野の狭い発想であると考える。

おそらく、これを言い出した人物は、自身が大学に行けなかったから、そのような発言になったのだろう。

しかし、この言葉は「分断」と「排除」を生むこととなった。

つまり、「大学に進学した者」「学歴のある者」を目の敵にするようになったのである。

その弊害として、「大学に進学した者」を侮蔑し、タダでこき使うようになったのである。

「だって、おまえらは「尽くせ」と言われているじゃねえか?!!」と言わんばかりに。

そうして、いわゆる「超エリート」が落選する結末を迎えたのである。

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一方で、大学に進学した者は、その知識を富に変換するすべを苦労して身につけるので、自身の富を社会に還元しようと考える。

だが、昨今の「お金持ちになってズルい」世論の沸騰により、身の危険を感じ、とうとう、富は自分たちだけで、静かに消費することを選択するようになってきたのである。

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さて、「愚直な庶民たち」が抱く「洗脳」を乗り越えるためには、「意識改革」もっと言えば、「矯正」が必要である。

つまり、大学進学だけに限らず、全ての「幸福」の事象について:

幸福を手に入れた者は、望んでも幸福を手に入れられなかった者のために、尽くせ

ただし、文献をひもとけば、下記が正解であり、真理である。

自身の安堵を願うのであれば、まず、自分以外の全ての者の幸福を願いなさい

「尽くす」必要は無い。「願う」だけでいいのである。

そうして、「願う」ための具体的な実践方法を知っているわたくしは、非常に「幸福」であると実感し、感謝の日々を送っている。