ある程度倹約をし、蓄財に励み、資産を形成した高齢者というものは、生活に余裕があるので、その富の分配を、親族だけに限らず、社会に対して還元しようと考える。
ところが、最近、「生活に余裕があってズルい」「お金を貯めていてズルい」「配当金があってズルい」etcとの言説がXを賑わすようになっている。
それが政策の後押し(世論の誘導)として効果を発揮し、どうやら、数年後、早ければ2年後からは、高齢者の金融所得について、確定申告を経なくても「収入」として勘案され、国民健康保険料の算出に使われそうである。
また、高齢者の3割負担も現実化しそうである。
本来、「老後も自立した、安定した生活を」との目標の下、
しかし、年齢を重ねるごとに資産が増えていくのは、当たり前の話である。
どうも、そこら辺が、「分断」を煽動されている若者や現役世代には理解できないらしい。
結局は、「嫉妬」なのであるが、
このあたりの「論理」は、女性特有のようで、「男たちがそんなにお金をもらっているのはズルい」「私たちにも同等のお金をよこせ」「
本来、賃金は努力や成果に対して支払われるもので、「ただそこにいるだけでいい」というのは単なる「母性」である。ベーシックインカムを欲しているというのだろうか?
いわゆる「2馬力でないと生活を維持することさえ難し」くなってしまった、低効率、高費用の家計においては、リセッションに入った途端、その過程が破綻することは目に見えている。
それらの失業は、まもなく国民投票されるであろう「憲法改正」の後、「自衛軍への就職」によって吸収されるのだろう。
今回の衆議院選を見ていて思うのは、「徴兵」「従軍」は「民意」であって、有権者も前線で命を失うこと、つまり「血を流すこと」「最後まで戦うこと」を覚悟した上での投票行動だったようである。
「戦争を選択した選挙」だったのである。
高齢者たちも、自分や自分の親族が戦争に出向く必要がなくせるなら、高齢者に対する過度な課税にも声を上げなくなるのだろう。「戦時下では老人たちは沈黙する」理由はそこにある。「何も言えなくなる」のではない。「言わないことで自分たちを守る」のである。低次元の「正義感」を振りかざすより、「一族が生き残ること」を最優先とするのである。生きていさえすれば、いくらでも(後付けで)体制批判はできるし、復興に身を捧げることもできよう。
民意には逆らえないので、わたくしがそれを止める無粋なまねはするつもりはない。対外的には黙って見ていようと思う。
明日発足する政権が、やたらに「成長戦略」を振りかざしているが、それは「戦争のための成長」であることを忘れてはいけない。
「ノブレス・オブリージュ」と言うが、下賤な家柄のわたくしとしては、従軍して戦意発揚する気力も無い。わたくしより金持ちが、戦争に行ってほしいと願うばかりである。