「みらい」を作りたいのなら、「教育」にカネを注ぎ込め
不動産ばかり取得しているのではなく。
北大の入学試験日に思ったこと(2026/03/12):
思えば、教育を重視しているはずなのに、なぜか、大学進学は「自己責任」だった。
…数十年前の3月のこの時期は、せっかく難関を突破して*、合格したのに、「入学金の確保」で戦々恐々としていた。
* なぜか地方試験場で1人/2人しか合格していなかったのだ(2学部受験した)。40人50人は受験したと記憶している。「エスカレータ」式に簡単な試験で「進学」した者が多かったのだろう。だからFランになるのだ
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もっと言うと、大学進学すら、つまり、大学に合格したことですら、「嫉妬」の対象となっていたような気がする。
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例えば、指定大学の合格には、入学金を奨学金として出すとか、もっと言うと、「生活費」として奨学金を出すとか、せめて、低利で貸し付けをしてくれるとか、遡ると、受験料は出してくれるとか、宿泊費を出すとか、ともかく、「指定校」なのだから、
あの頃は、高度成長期後の、超絶バブルで、潤いに潤っていたはずだ。
数十万程度のカネなど「はした金」だと考える。
しかし、貧乏だったのは、わたくしだけではなかったな。なぜか、バブルの絶頂期でも、金銭的に苦労した者が多かった。なぜだろう?