- 「市会議員はそこそこの給与がもらえる。だから生活のために市会議員になる人も中にはいる。『街づくりに想いがないのでは』と市民から厳しい目で見られている議員も一定数いるのが事実です。彼らが無能だとは言わない。ただ、彼らに『2050年の都市ビジョン』を描く専門性を期待するのは、そもそも無理がある」
- 「政治家は本来ボランティアの精神で市民のことを考え、地域の実業家はその場所で稼ぎ、街を支える。このモデルが理想だ」
- 「この街の将来の生命線は、高齢の議員や役人が会議室で決めるのではなく、子供に決めさせることだ」
- 「子供たちは『この街にいても何もない』と感じ、18歳になれば出ていく。そして二度と戻らない」
- 「都市のアイデンティティは、未来を背負う子供たちの中にこそある。周防大島をその実験場にしたいんです」
- 「大学受験するための高校ではなく、高校時代にインターンシップでビジネスを経験したり、高校生のアイデアを採用し事業化を検討したり、高校生社長を生み出す土壌のような学校にすべきだ」
- そのために、予備校のスーパー講師のような「名物先生」をスポットで招聘し、基金を募って運営を任せる――いわば「ハーバード・モデル」の地方版だ。ハーバード大学がなぜ世界最高峰の教育機関であり続けるか。それは、巨額の寄付基金(エンダウメント)を運用し、その運用益で最高の教授陣を招聘できるからだ。授業料収入に依存せず、長期的視点で人材を育てる。この仕組みを、地方の高校に導入できないか。
- ジェームスさんの構想では、校歌の作曲にX JAPANのYOSHIKIを起用する案まであった。「役所は県出身の音楽家を選びがちだが、世界的に活躍するアーティストに依頼して子供たちに夢を与えたかった」というのがその理由だ。
- 子供に夢を与える話が、大人の都合で潰される。この国の地方では、こういうことが繰り返されている。そして繰り返されるたびに、「本気の一人」は去っていく。
- もう一つ、ジェームスさんの指摘で看過できないのが、行政の「稼ぐ」意識の欠如だ。
- 全国の地方都市で、中心商店街はシャッター通りと化している。「この空き店舗を市が借り上げ、若手起業家に安価で貸し出す仕組みはできないのか。外国資本や県外企業に遊休地を安価で提供し、一定の雇用条件を付帯しつつ、固定資産税が長期的に回収できるスキームを設計できないのか」
- 途方もない理想に聞こえるかもしれない。だが、その途方もなさこそが、今の地方に必要な発想の水準なのだ。なぜなら、「現実的な」施策は、すべて試され、すべて失敗してきたからだ。ゆるキャラ、B級グルメ、ふるさと納税の返礼品競争――どれも一時的な話題にはなったが、人口減少のトレンドを反転させるには至っていない。
- 私はここで安易な結論を出すつもりはない。下松市が成功していて周南市が失敗しているとか、合併が間違いだったとか、そういう単純な話ではない。ただ、「規模を大きくすれば栄える」という前提が、必ずしも正しくないことは明らかだ。
- 問われているのは、もっと根本的なことだ。誰が、この街の未来を語るのか。その「語り」に、どれだけの本気度があるか。そしてその本気度を、行政は受け止める器を持っているか。
- 大人の事情でモノゴトが決まり、結果として若い人はどんどん離れていく。この負のスパイラルに終止符を打つには、行政の在り方そのものの転換が不可欠だ。子供を主語にした教育と街づくり。稼ぐことを恐れない自治体経営。スペシャリストが集う開かれた議会。どれも「前例がない」だろう。だが、前例がないことは、やらない理由にはならない。
- 日本という国の凄さは、東京のスカイラインにあるのではない。瀬戸内の多島美に、コンビナートの夜景に、商店街のシャッターの向こうで今日も暮らしている人々の中にある。その凄さを守るとは、この国を深く理解し、その理解を教育と街の魅力に変換していくことにほかならない。
- ジェームスさんの提案を「荒唐無稽だ」と笑うのは簡単だ。だが、大人が笑っている間にも、地方の子供たちは一人、また一人と、出ていく準備を始めている。
- 18歳の春、駅のホームで見送る親の姿。「いつか帰ってこいよ」と言う父の声。だが、帰る理由が、この街にはない。帰りたいと思わせる「物語」が、この街にはない。
- その物語を作れるのは、大人の事情で動く会議室の面々ではない。「笑われてもいい」と腹を括った、本気の誰かだ。その誰かが現れたとき、地方は変わる。そして、その誰かを受け入れる度量が、その街にあるかどうか。それが、周南市だけでなく、日本中の地方都市に突きつけられている問いなのだ。
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